住職 榎木境道

 本日は新盆を迎えた方々に対しまして、御案内を申し上げましたところ、皆様方には万障繰り合わせての御参詣ごさんけいをいただき、まことに故人の為にも尊いことと存じあげます。
江戸時代の俳人小林一茶が詠んだ句に、

「かたみ子や 母が来るとて 手をたたく」

とあります。一茶の奥さんが幼い子を遺して亡くなりました。遺された子は一茶に「お母さんはどこに行ったの?」と尋ねます。答えに困った一茶ですが、「お母さんは遠いところへ行ってしまったけれど、お盆にはきっと帰ってくるよ」と慰めました。すると子どもは「お母さんは、お盆に帰って来るんだね」と、心待ちにして、無邪気に手を叩く情景を、「かたみ子や 母が来るとて 手をたたく」と詠んでいます。
定めし皆様方の御家庭でも、これまで家族の一員であった方の跡がポッカリ空いて、寂しさも一入ひとしおのお盆を迎えられたのではないでしょうか。
お盆は、日本人にとっては昔から、最も身近で縁の深い行事でした。その起源も、先の俳句のように、亡くなった母親を思う子どもの心ではないかと思うのです。
 大聖人だいしょうにん様の御書ごしょにも、盂蘭盆うらぼんのことは色々な所に出ておりますが、『盂蘭盆御書』にあるのが目連尊者もくれんそんじゃの話しです。
 目連尊者は、母が餓鬼道がきどうに墜ちて苦しんでいるのを自分の神通力じんずうりきで知りました。お腹がす空いてものを食べたくても、食べられないのが餓鬼道の境界ですから、それを知れば自分の分を分けてもお母さんに食べさせたい。そう思うのは当然で、目連は神通力でお母さんの所に食べ物を送ります。ところが、お母さんがそれを口にするとたちまち炎に変わり、身を焦がすのです。目連はあわてて水を送りますが、水も薪に変わって愈々お母さんを苦しめます。
 目連は自分の力ではお母さんを救えないことを知り、釈尊に教えを乞いました。釈尊は、因縁いんねんを考えるように教えました。
 目連のお母さんの場合は、餓鬼道に堕ちて苦しんでいますが、そこにも因縁、原因がある。つまりこのお母さんは生前、人にものを施す事を惜しんだ。その果報として、死後餓鬼道に墜ちて苦しんでいるので、そういう因縁・原因を知った上で、その罪障ざいしょう消滅しょうめつをするように努めなくてはならないということです。
 では、どうしたらお母さんの罪障消滅ができるのか?それは、お母さんのいのち命を受け継いだ子の目連が、お母さんの代わりに善行ぜんぎょうを修する。その功徳くどくをもってお母さんを救ってあげなさいと、釈尊は説かれました。
 そこで目連は、七月十五日に十方じっぽう聖僧しょうそうを招き、百味の飲食を供養し、その功徳を亡くなったお母さんに振り向けます。仏法ではこのことを回向えこうと申しまして、それによって、自他ともに救われると説かれるのです。つまり直接お母さんへ物をおくるのでは無く、無縁むえんの慈悲に生きる僧侶に供養することで、それが母への供養になるということです。
 最近の世の中ですが、自国第一主義が横行しておりまして、「国益」を第一に重んじるという風潮が強い。ロシアのウクライナ侵攻に始まり、中国から見た台湾問題も、独立は絶対に認めないとの姿勢がその一環です。
 しかし国益第一主義では対立ばかりが際立ち、人類に未来は無いと思います。ではどうすれば良いか。単純なことです。「人様に迷惑を懸けないようにする」ということ。これは日本人が古来大事にしてきた信条であり文化です。隣国にも世界の国々にも、この信条を能く説明して、世界中に弘めていくことが大切です。
 アメリカのトランプ大統領はあからさまに「アメリカン ファースト」を掲げました。イギリスのEU離脱も元はといえば、莫大な拠出金を出してまで他国を利する必要は無いという損得勘定です。日本でも最近このような風潮の影響を受けたのか、選挙演説で「日本人ファースト」が叫ばれるようになり、しかも残念ながらこれが好評を博しているようです。
 今の国際社会は、互助互恵ごじょごけいの精神が薄らいで、その分ぎすぎすしています。彼の第二次大戦の原因が、石油の確保など経済問題が主であったことを思い起こせば、人類の先行きも決して楽観視できません。曽ての過ちを繰り返してはならないとは誰しもが願うことなのですが。
 経済の元の言葉は「経世済民」です(世を治め民を救う)。本来はより多くの人々を救う為にあるのであって、一部の人を利するのが経済の目的ではないのです。余得を得た人が、ほかの人へも資金を融通して、ともに利益し合うというのが経済の基本的な考え方ですから、経済にも仏法で説く回向の心持ち、「自他ともに救われる」との精神は欠かせません。ただ儲けるだけ儲けて、自分だけ得すればいいという考えは、自分自身でさえ幸福になれません。どんな企業も利潤を社会に還元する、それによって再び自分の企業が潤うというように、良い循環が行われるのが理想です。そこに活かされるのが仏法で説く回向の精神です。
個人の行った追善回向も、対象にした先祖精霊しょうりょうを利益するだけではなく、その功徳は大きく法界ほうかいに平等に回らされ、それが必ず回向した人に返ってくる。ここが大切なところです。
 今が盛りの桃ですが、ここに桃の種があったとしても、そのまま食べる人はだれもいません。土に植えて、一本の木に育て、そして沢山の果実として収穫する。立派な桃の実に育ったところで、初めて多くの人の口に入り、たくさんの人を利益するのです。
 このように桃の種と、実とは本来同じものですが、他に与える、利益する力は大きく違います。
 皆様方には亡くなった親のために、親を救いたいという、尊い気持ちをお持ちと思いますが、そのままでは活かされません。桃の種をそのまま食べるのと同じです。その気持ちを御本尊ごほんぞんに向かう仏道精進の功徳に変えてこそ、親・先祖を救う大きな力になりうるのです。
 御本仏日蓮大聖人様は、我々末法まっぽう一切衆生いっさいしゅじょう成仏じょうぶつの法体として、三大秘法さんだいひほう大御本尊だいごほんぞんを建立されました。本日もその大御本尊の御宝前ごほうぜんにて、皆様方有縁うえんの先祖精霊の回向を奉修ほうしゅしたのですから、その功徳は必ずや亡き先祖を救うとともに、回向を志した皆様方にも、より大きな功徳となって返ってきる事を確信して下さい。
 願わくば折々この寺院に参詣せられ、共に励まし合い、勤行・唱題・折伏しゃくぶくへと、自行化他じぎょうけたの信心を実践して参りましょう。本日はお暑い中を大変ご苦労様でした。

(2025年8月記)