竜ノ口法難

 こうした鎌倉での大聖人の布教は、幕府と結んだ他宗の者たちの策謀(さくぼう)を受けることとなり、侍所(さむらいどころ)の副官、平左衛門尉頼綱(へいのさえもんのじょうよりつな)が文永8年9月12日に大聖人を捕え、その日の夜半、ひそかに竜ノ口へ連行して斬首(ざんしゅ)しようと謀りました。これが竜ノ口法難です。
 竜ノ口では斬首を前に、暗闇の中を江ノ島の方角より鞠(まり)のような光り物が現れて空中を移動し、驚いた武士たちは恐れおののき、ついに斬首は出来ませんでした。
 それより大聖人は、佐渡へ配流となりました。