女人となる事は物に随って物を随へる身なり。夫たのしくば妻もさかふべし。夫盗人ならば妻も盗人なるべし。是偏に今生計りの事にはあらず、世々生々に影と身と、華と果と、根と葉との如くにておはするぞかし。(兄弟抄 平成987㌻)

 夫婦の関係も昔と変わりつつある昨今、男女ともに働く世の中であれば、男女平等との思いから、女性が別姓を求めるケースも増えつつある。夫婦別姓が法律的に認められるのは時間の問題ともいう。
 このように一見すると男女の同化が進んでいるようだが、男女それぞれが有する個性というものは、基本的に変わりは無いのではなかろうか。もちろん男性に子どもは生めない。でも生まれたならば、夫婦協力して育てていくべきは、いつの世にも変わりは無かろう。その時にあって、主導権を握るのは女性であるし、子どもの病気などの異変にも敏感だ。その上家計のやり繰りも、得てして女性の方が上手である。
 かくして、か弱い女性のイメージの中から、妻はいつの間にか夫を手なづけ、リードしていく役回りを担う。「女人となる事は物に随って物を従える身」とは、この事ではなかろうか。
 妻の助力によって夫が仕事に打ち込めれば、恩恵は妻に返ってくる。逆に夫が力を発揮できなければ、妻も楽しい思いにはなれない。
 そのように、夫婦は相手に無いところを補い合い、影と身、花と果実、根と葉とのように、堅い絆で結ばれているのだ。これは三世の生命観から今生のみならず、世々生々、いつの世も変わらないとの仰せである。

(平成26年9月23日公開)