御聖誕八百年を迎う ―『産湯相承事』から

住職 榎木境道

 御聖誕八百年の記念すべき時を迎えています。 日蓮大聖人が御自身の出生などに関する内容を、唯授一人ゆいじゅいちにんの弟子である日興上人へ話されたのを、日興上人が筆録された『産湯相承事うぶゆそうじょうのこと』(御書1708㌻)という書き物があります。大聖人に最もお側で、しかも長い間仕えられた日興上人であればこそ知り得た内容で、他門日蓮宗等にはこうした内容のものは伝わっていません。ここでその内容の一部を紹介したいと思います。

 大聖人の母君の御名は梅菊女うめぎくにょと申し、畠山はたけやま氏の血筋を引かれる方です。その母君が清澄寺に毎夜参っていた時に不思議な夢を見た。「汝の通う志は神妙なので、一閻浮提第一の宝を授けようと思う。東条の片海に三国大夫みくにのたいふという者がいるから、その者を夫と定めよ」と。梅菊女は時に7歳の春、3月24日の夜であった。

 「その後自分は父母に先立たれたので折良く汝(大聖人)の父に嫁いだ。するとある夜の霊夢に、比叡山の頂に腰掛け、近江の湖水で手を洗った後、富士山より日輪が出るのをその手で懐き奉ったところで驚き目覚めた。間もなく月水が止まったことに気づいた」と、母君は申された。

 すると父君の大夫たいふも、「自分も不思議な夢を見た」と言う。虚空蔵菩薩が見目みめ良き稚児ちごを肩に乗せて言う。「この児は自分にとって上行菩薩である。また日本国の人々の為には生財摩訶薩埵しょうざいまかさったとなり、また一切有情の為には後々三世定恒じょうごうの大導師となる方だ。この児を汝に与えよう」と言われて夢が覚めた。すると家内の懐妊の事を聞いた。それゆえ汝は聖人であると。

 また産まれる時の母の夢に、「富士山の頂に登り十方を見ると、明らかなことたなごころを見るように、三世の様相が明かである。梵天・帝釈・四大天王等の諸天はことごとく来下して、本地自受用報身如来の垂迹すいじゃく・上行菩薩の御身おんみを、この凡夫地娑婆世界に下されたのであり、御誕生は只今である」と声がした。すると無熱地の主である阿那婆達多あなばたった竜王が八功徳水を持ち来たり、産湯に浴していただこうと諸天に告げた。すると竜神王がすぐに青蓮華を一本になって来た。その蓮からは清水が出て、聖人は浴された。余った水を四天下に注ぐと、潤いを受けた人畜・草木・国土世間の全てが金色の光明を放ち、四方の草木も花を開き実を付けた。男女座を並べても煩悩ははたらかず、汚泥おでいの中の白蓮華のごときである。

 かくして、人・天・竜・畜が共に白蓮華を手に捧げ、日に向かい「今此三界こんしさんがい皆是我有かいぜがう其中衆生ごちゅうしゅじょう悉是吾子しつぜごし唯我一人ゆいがいちにん能為救護のういくご」と唱え奉ると、即ち(大)聖人がお生まれになった。

 その時聖人は「毎時作是念、以何令衆生、得入無上道、速成就仏身と苦我くがき玉ふ」とあります。この意味は、「苦我」とかれたことが自我偈末文を読経したごとく聞こえたというように理解されます。これを「苦我渧くがたいの口伝」と言います。すなわち大聖人が御生涯を通じて、一切衆生を済度する慈悲の涙を流されたことを、「苦我くが」の一声をもって顕しているということです。

 『諸法実相抄』に有名な御文があります。

現在の大難を思ひつヾくるにもなみだ、未来の成仏を思ひて喜ぶにもなみだせきあへず、鳥と虫とはけどもなみだをちず、日蓮はかねどもなみだひまなし。此のなみだ世間の事には非ず、但偏ひとえに法華経の故なり。

(御書667㌻)

 「苦我」とはこの御文にそのまま通じます。第66世日達上人は、苦我に三通りの意味があることを説かれています(達全二輯1巻601㌻)。
 第一に、法師品の「此の経は如来の現在すらなお怨嫉おんしつ多し。況んや滅度の後をや」の経文を自ら身をもって行ぜられ、大難等を忍ばれたこと。
 第二に、『諌暁八幡抄』に「一切衆生の同一の苦はことごとこれ日蓮一人の苦なり」(同154㌻)と説かれるように、大聖人は主師親の三徳を兼備され、末法一切衆生の苦をただ一人救護されること。
 第三に、大聖人が諸難にわれることは、末法の法華経の行者であることを、表し示されるための諸天の計らいであったこと。
 以上の三点を挙げられ、大聖人が御出生される時の苦我渧くがたいは、生涯における忍難の行をお示しになるとともに、本仏のお姿をも現されたと、日達上人は御説法されています。
 『産湯相承事』は大変重要な内容ゆえに、御聖誕八百年を機に一部紹介させていただきました。

(2021年3月記)