テーマ – 仏の教えとともに今を生きる
我が魂を子どもたちへ(平成25年5月4日)

 ゴールデンウイークも後半に入りまして、明日は子どもの日、端午の節句に当たります。お子様にはこの連休を利用して、様々に楽しい想い出が作られることを期待致しております。
 それにしても、子どもをめぐる社会環境も、我々の時代と随分と変わってきています。昔の農家は子どもたちを総員連れて、農作業に出るのが習慣のようでした。子どもたちは、お兄ちゃん・お姉ちゃんといった年長者が下の子を負ぶって寝かせたり面倒を見る一方で、トンボやカエルを捕って遊びました。ゲームなどが無くても結構自然のままに育ったものです。今の子どもたちはどうでしょうか。塾へ通ったり習い事をしないと、一人前の子どもとして扱われないような、そんな風潮もあるようです。いじめも結構多いようですが、果たして昔と今の時代と、どちらの子どもが恵まれているでしょうか。
 つい数日前のことですが、親による幼児虐待事件がありました。痛ましい結末となってしまいました。ある精神科医が、「快適な生活をした社会は産児数が減る」(中井久夫)と書いています。はて、どういうわけなのだろうと少し考えましたが、成る程、快適な生活に慣れてしまった若者には、自分自身が楽しむ時間が惜しくて、子どもを育てるというような、面倒なことをしたがらなくなる、ということなのでしょう。
 そうした、子どもを作り育てることへの消極姿勢が、少子化社会の大きな要因となっている、というのであれば、残念なことです。子どもがいなければ、家族に恵まれなくなり、本人の将来は寂しい人生を送ることになります。それでも現代の若者は、今の自分の自由、今の自分の楽しみを優先するのでしょうか。
 子育ては大変でも、一時の辛抱を乗り越えれば、将来への希望がぐっと広がってきます。我が子との命の触れあいは、決して他に求められません。今風に言えば、命の中に刻み込まれた遺伝子が、互いを求め合うような、深い関係にある、それを肉親と言うのでありましょう。

 ここで、親子の触れあいに関わる一つの逸話を紹介したいと思います。これは宗祖日蓮大聖人の御書『南条殿御返事』(平成新編御書九七〇㌻)にあるのですが、その昔、源頼朝の時代にこの鎌倉を舞台にあった実話です。
 筑紫の国(今の福岡県)に大橋太郎という武将がいました。何らかの濡れ衣を着せられて、鎌倉由比ヶ浜の土牢に捕らわれ、十二年の歳月が過ぎたのです。
 この武将が捕らわれた時に、奥さんが懐妊していて、やがて一人の男子が生まれました。幼名は一妙麿と伝えられています。一妙麿は山寺に上げられ成長していきましたが、周りの子どもからはし児といじめられ、いたたまれず実家の母に、父がいなくなった経緯を聞き出しました。母は重い口を開いて、鎌倉に行った折に将軍頼朝の勘気に触れて捕らわれ、今は生きているのか死んでいるのか判らないと、いうことでした。
 一妙麿は聞いてなおさら悲しみました。そして十二才になった頃、密かに山寺を抜け出し、遙々鎌倉に尋ねていったのです。そして鎌倉の鶴岡八幡宮の前に出ると、父が見つかりますようにと念じて、真夜中を通して法華経を読誦していました。美しい声は辺りに響き渡り、そこにたまたま参詣していたのが二位殿、すなわち将軍頼朝の夫人北条政子でした。政子は一妙麿の声に聞き惚れて、帰って頼朝へ報告しますと、持仏堂に招いて読誦させよということになりました。頼朝も法華信者で、流人時代から毎日法華経を読誦してきたので、親しみを感じたのでしょう。
 その翌日、一妙麿は言われた通り頼朝の居る持仏堂に上がり、法華経を読誦しました。すると西御門(にしごもん)の辺りで騒々しい音がしました。今日は罪人が頸を切られる日だと聞かされました。一妙麿はつい、捕らわれた父のことを思い出して涙ぐんでいると、頼朝は伴の者にわけを尋ねさせました。一妙麿は、この鎌倉で捕らわれた父大橋太郎を訪ねて、遙々国元から旅をしてきたと、ありのまま申しますと、聞いていた人々の涙を誘いました。
 頼朝は側近の武将梶原に、大橋太郎を連れて参れと命じました。梶原は、「あの者は今日、由比ヶ浜で頸を斬られることになっています」と答えました。これを聞いた一妙麿は、頼朝の前であることも忘れ、大声で泣きわめきました。頼朝が梶原に向かって命令すると、梶原は自ら由比ヶ浜に馬を走らせ、大声で大橋太郎の名を呼びました。折も折、いざ大橋の頸を斬らんと武士が刀を振り上げた、まさにその時でした。
 こうして、梶原は縄が着いたままの大橋を連れてきました。頼朝は「この稚児に取らせよ」と、大橋太郎を子どもに預けるよう命じました。一妙麿は大急ぎで父親に駆け寄って縄を解いたのですが、父は一妙麿が自分の子であることを、この時初めて知りました。
 頼朝は親子を前にして、一妙麿には褒美を取らせ、父には赦免したのみならず、再び本領を与えたのでした。そして二人を前に、頼朝自身がこの時に感じた法華経の功徳を話すのです。
 「自分も流人時代に殺された父のことを想い、法華経をずっと読誦してきた。それがようやく千部に達したときに、高尾の文覚房が、父義朝の頸を持って現れ本当に不思議に感じた。不思議な事はその後も続き、戦さで敵の平家を亡ぼしたのみならず、こうして日本国の武士の総大将となれたのも、一重に法華経の御利生の賜物である」と。
 続いて、
 「この稚児にしても、捕らわれていた父を今日助けられたのは誠に不思議と言うべきである。自分としては大橋太郎の命は、たとえ朝廷から命が下っても、助けるつもりはなかった。余りにも憎くかったので、この十二年間土牢に入れたままにしていた。それなのに、今日はこんな不思議な出来事があって、助けるはめになってしまった。法華経の功徳とは有り難いものだ。自分は武士の大将として多くの罪を作ったが、法華経を信じていたからこそ、今の自分があるのだ」と、涙ぐんで述べたということです。
 こうして、頼朝より赦免された大橋太郎父子は、筑紫の国へ帰っていきましたが、途中今の行橋市(福岡県北東部)の民家で厚いもてなしを受け、それが縁でこの地にとどまり、家族も呼び寄せました。その後ここで商業を起こすと次第に繁昌して、大橋村ができたということです。当地には「大橋太郎」の記念碑が建っていますが、もとはと言えば、父を思う子どもの一途な思いと、法華経の功徳が、このような結果を生んだのでした。
 親子・父子の関係が問われるような問題が起こる昨今、この大橋太郎と一妙麿の話は、親子の関係を見つめ直す素晴らしい話ではないでしょうか。
 子どもは親の背中を見て育つといいます。でも一妙麿が生まれた時に、父はすでに捕らわれ、父の背中を見ることもなかったのです。それでも一妙麿は遙々鎌倉まで訪ねていきました。このように、親子の関係は理屈で説明できない何かがあるのです。先ほどは遺伝子同士が引き合うと申しましたが、仏法で説明するならば、不可思議な過去世からの因縁によって、親子の関係があると言うべきです。日蓮大聖人は「父母となり其の子となるも必ず宿習なり」(御書一三九三㌻)と仰せです。大橋太郎父子の再会も偶然ではなく、過去世からの深い宿縁のもと、法華経の信心がはたらいて成ったのです。大橋父子を見ていた頼朝も、法華経の信者であったゆえに、深く感じ入って赦免したのでしょう。

 親子の関係についてもう一つ、子育てについて申し上げたいと思います。
 子どもを育てるに当たって、最近の風潮は、余り干渉しない立場をとる親が多いようです。子どもの人格を重んじるからというような理由があるからでしょう。でも、言葉は悪いのですが、子どもを野放しにするような育て方は、いつの時代でも好ましくないのではないか。何より、正しいしつけができません。
子育てについて、アメリカのドロシー・ロー・ノルト女史の有名な言葉があります。
けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる。
とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる。
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる。
「可哀相な子だ」と言って育てると、子どもは惨めな気持ちになる。
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる。
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる。
と、まだ続きますが、親が子に対する接し方、言葉一つで子どもは大きく変わります。そして家庭環境がどれほど子どもに影響するか、的確に言い表した言葉です。
 「子どもには手をかけず心をかけよ」と言われます。
 親は子に余り口やかましくせず、そうかといって、常に心にかけることを怠らないようにせよということでしょう。「親」という漢字は木の上に立って眺めるということです。少し離れた位置から、子どもを見つめてあげるということ、これが、親の愛情を子どもが素直に感じてくれる、秘訣ではないかと思うのです。
 親が子を育て導くあり方について、仏教には非常に参考になる教えがあります。法華経寿量品に、「良医病子の譬え」として、説かれている内容を紹介致しましょう。
 ある立派な医者がおりまして、この医者にはたくさんの子どもがいました。ところが留守をしている間に、子どもたちは誤って毒薬を飲んでしまいました。父親である医者が帰ってくると、子どもたちはもがき苦しんでいました。医者はすぐに良薬を調合して、飲ませようとしたのですが、毒気が深く入って本心を失っていた子どもたちは、なかなか服用しようとしません。そこで父親は一計を案じました。「ここに置いておくのは良い薬だから必ず飲みなさい」と、言い置いて出かけました。そして使いを遣わし、子どもたちに「汝等のお父さんは旅先で亡くなった」と告げさせました。聞いた子どもたちは驚き、もう頼れる人がいない事を知って悲しみました。ここで初めて、お父さんが残してくれた良薬のことを思い起こし、服用しました。すると、ようやく毒薬の苦しみから快復して、皆が元通り元気な身体にもどりました。そうしたところで、お父さんが帰ってきて、ともに喜んだというのが、「良医病子の譬え」であります。
 この譬えで、良医のお父さんとは、実は仏様に譬えているのです。そして多くの子どもたちとは、我々衆生のことです。五欲にまみれて生きている衆生に対して、仏様は苦悩から救ってあげようと、妙法蓮華経の教えを説かれるのですが、なかなか衆生は聞こうとしません。そこで仏様は、巧みな方便を用いて、正法の信仰に向かわせることを、「良医病子の譬え」で示されたのです。
 法華経には、仏様に三つの徳が具わると説いています。「主師親の三徳」と申しますが、主人の徳とは衆生を守る用きです。師匠の徳とは、衆生に正しい筋道を教え、導く用きです。そして親の徳とは、申すまでもなく衆生を我が子のように、慈愛をもって育てる用きであります。
 このように、仏様が衆生に対してどのように接して下さるのか、それを説かれたのが仏の三徳ということですが、実は親が子どもを育てる場合にも、この三徳をお手本にして育てていただきたいのです。
 第一に子どもを守ること、これは主人の徳です。第二に、子どもにものを教え導くこと、師匠の徳です。第三に、子どもに慈愛を注ぐこと、これは親の徳そのものです。お子様を育てるのに、この三つを条件として、これが揃っていれば、決して子どもは間違った方向には進みません。
 三徳は、仏に具わる三つの徳ですから、それを我が身に当てはめ実行することは難しいかもしれませんが、しかし逆に申しますと、このどれかが欠けることによって、子育ての上にも様々に問題が生じてくるのではないでしょうか。「子どもを守り、導き、慈しむ」と、この三つがきちんと具われば、子育ては必ず上手くいくでしょう。
宗祖日蓮大聖人様は、「子はかたきと申す経文もあり(乃至)子は財と申す経文もあり」と、説かれています。 育て方一つで、子どもは親の敵にもなり、反対に大事な宝ともなります。先ほども申しましたが、親子の関係は偶然ならず、過去世からの深い因縁で結ばれているのですから、その事を自覚しましょう。
 そして親は自分の魂を、子どもに伝えなくてはなりません。伝えるべき魂とは何か、それはこれまで例を挙げてお話ししてきた法華経の信心であり、日蓮大聖人の教えであります。この信心をして、深い確信が得られたならば、子どもたちに伝えられる最高の贈り物となることを知って下さい。そうしてお一人お一人がこのことをお土産に、お持ち帰り下されば幸いです。
 本日は、寺子屋法話会への御参加、まことに有り難うございました。