住職 榎木境道
宗祖日蓮大聖人御聖誕を目睫に控えた本年、私たちは年明け早々から一大事を迎えることになりました。
中国武漢では、すでに昨年末頃から新型コロナウィルスの感染が始まり、年が明けると、現地に滞在する日本人が政府の仕立てた特別機で帰国、同じ頃、クルーズ船ダイアモンド・プリンセス号が遠洋航海から横浜港に向かっていました。船体は一目観ただけで忘れられない優美な姿。でも船内では、香港で下船した一人の感染者が残していったウィルスが魔の触手を伸ばし、三千七百名の乗客・乗員の間では既に感染が始まっていました。
こうして横浜港着岸後も乗客の下船は許されず、潜伏期間とされる二週間、船内に足止めされることになりました。この間に非感染だった人たちも次第に感染し、結果的に五人に一人の割合で感染が拡大していきました。
連日テレビで報道されるクルーズ船内の様子はかなり深刻でした。自室以外に出歩く自由が無く、仲間と話す機会も遮断され、食事は個別に部屋に運ばれ、部屋の不衛生などにも耐えて過ごす様子を国民は垣間見つつも、「お気の毒に」と傍観していました。
ところが規定の二週間が過ぎて、乗客たちが下船する頃から、日本各地で感染者が目立ち始め、大勢集まるイベントには自粛が求められ、学校も休業が求められました。大人の職場にも甚だしい影響が及んでいます。
街は人出がめっきり減り、経済への影響もリーマンショック以上だろうとの声もあがります。クルーズ船の乗客を気の毒にと観ていた人々が、僅かな間に我が身の周りに自由が制限され、同じ立場に立たされようとは、誰が気づいていたでしょう。今の日本国民は全てが一隻のクルーズ船に乗り、終着点の見えない旅をしています。
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日蓮大聖人は『秋元御書』に次のように仰せです。
謗国と申すは、謗法の者其の国に住すれば其の一国皆無間大城になるなり。大海へは一切の水集まり、其の国は一切の禍集まる。譬へば山に草木滋きが如し。三災月々に重なり、七難日々に来たる。飢渇発これば其の国餓鬼道と変じ、疫病重なれば其の国地獄道となる。軍起これば其の国修羅道と変ず。父母・兄弟・姉妹を簡ばず、妻とし、夫と憑めば其の国畜生道となる。死して三悪道に堕つるにはあらず。現身に其の国四悪道と変ずるなり。此を謗国と申す。
(御書1450㌻)
この御書の謗人・謗家・謗国の法門のうち、謗国について説かれた箇所です。謗法の者が住する国は一国が無間地獄である。それは大海に一切の水が流れ込むのと同様に、三災七難と言う一切の災いが集まるからである。
そういう中で、人々に食料が行き渡らなくなれば餓鬼道の姿を呈し、疫病が相次げばその国は地獄道と変わる。戦争が起こればその国は修羅道となる。道徳が失われ、父母・兄弟・姉妹など肉親を妻とし夫とすることになれば、その国は畜生道となる。我々は死んで後に三悪道に墜ちるのではなく、現実生活の中で四悪道と変わるのである。これが謗国の姿であり謗法の恐ろしさである、と。
以上のように大聖人は仰せです。三悪道・四悪趣は決して架空の話ではなく、我々の周囲に現実に起きている有様なのです。因みにこの御文をもとに、我々の周囲を見渡してみましょう。国難とは言いながらマスクを買い占め、トイレットペーパーを買い占め、転売して儲けようとする輩があります。何でも貪る餓鬼道の命です。電車内で咳をすれば隣の人から怒鳴られたり暴行を受ける。外国で歩いている東洋人は罹患者のように罵られ暴行を受ける。何れも修羅道です。クルーズ船内に二週間も留められる中で、ウィルスに感染せざるを得なかった方々の心は、たとえ数日間でも、地獄にいる気持ちだったのではないでしょうか。
このように異常事態の中で、三悪道・四悪趣が現実のものとなるのも、もとはといえば謗法のなせる仕業だと大聖人は仰せです。コロナウィルスを恐れるより、それに対処する人の心こそ恐れなくてはならないのです。
世の中の人間性が低下している昨今、『秋元御書』にある謗国の御教示は、改めて心に沁みて拝せられます。
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今を去ること百年前の大正10(1921)年は宗祖大聖人の御聖誕七百年の歳でした。ところがその大佳節を前に、大正7年末より8年春にかけ、世界中でスペイン風邪が猛威を振るいました。同9年には再度流行して、世界中の人口のうち感染者が三分の一、亡くなった方が五千万から一億人に上がるほど、猖獗を極めました。当時の世界人口が一八億から二〇億人であることを思えば、いかに多くの方々が被害を受けたかがわかります。
当時本宗の信仰をする方々は、どのように振る舞ったのか記録には見えませんが、大聖人御聖誕の大佳節を前に、強盛な信心をもって、様々な困難を乗り越えていったのでしょう。
今の私たちも同じ立場に立たされています。大佳節を前に様々な障魔が起こっています。連合会の春季総登山をはじめ四月の護国寺支部総登山も中止となりました。寺院での御講など諸行事も、自粛が促されています。これも我々の信心の至らなさゆえと、自誡しなければなりません。
そのような中で、個々の唱題と折伏は、今置かれている難局を打開するための一番の秘訣であることを、改めて確認致しましょう。自粛の中での信心活動は、より厳しいものがありますが、 コロナウィルスを退散せしめ、秋の「竜口発迹顕本七百五十年記念法要」を恙なく奉修し、御聖誕八百年の意義ある明年を力強く迎えましょう。
(2020年4月)