住職 榎木境道
良く知られているように盂蘭盆の起こりは、目連尊者が餓鬼道に堕ちた母、青提女を救おうと、発心したことに始まります。
餓鬼道に堕ちて苦しむ母は、一体どのようにしたら救えるのであろう、と悩んだのが神通力第一と言われた目連です。自分の力ではどうにもできないことを知り、釈尊のもとへ行って教えを乞いました。
釈尊は目連に因縁を説かれます。つまり青提女は生前、人へ施すことを惜しんだ慳貪の科があったゆえに、餓鬼道に堕ちたのであるから、その母に成り代わって目連が施しを行うことが、母を救うことになると。こうして目連は7月15日に、十方の聖僧を招いて、百味の飲食を整え供養したというのが、盂蘭盆の起原として知られています。
ところで仏教の因果論からすると、母青提女の苦しみは、基本的には生前に自らが為した慳貪の科によるのであれば、子である目連には直接に関わりは無いと、一往は考えられるのです。にもかかわらず、どうして目連が聖僧を供養することで、母を救ってあげられるのでしょう。
ここには、回向の論理がはたらいているのです。回向とは「回転趣向」を略した言葉で、自分が積んだ功徳善根を転換して、思う目的にふり向けるということです。そこで目連についても、十方の聖僧を招いて供養した功徳を、苦しむ母青提女にふり向け、母の餓鬼道一劫の苦しみを救うことができたということになります。
このように回向とは、仏道で得た功徳(果徳)を、思う目的のために転換することを意味します。これを説明するのに、よくマンゴーの譬えが使われます。
マンゴーの種を植えた人がいます。種のままでは食べられませんが、大事に育てていけば、色も香りも味わいも具わった実をたくさん付けて、人々を楽しませるでしょう。
言わば種のままの場合と比べれば、果物として何倍もの価値が具わるという、内容の転換がなされたというわけです。さらにその果実が贈り物として使われれば、利益する相手も替わり、方向転換がなされたことになります。
この例に準じて、今度は私たちの信心修行に当てはめてみましょう。
例えば自分の重い病を治したいと願い、信心を始めた人がいるとします。懸命の唱題と御祈念によって、とうとう病魔を克服できたならば、この人は信心の功徳を実感したことはもとより、そこから進んで、信心に対する大きな確信も得たことになります。さらに自分の確信を今度は人に話して、たくさんの人々を折伏し、正法に導く果徳を得ることもできるでしょう。
このような経過をたどったとするならば、この人の当初の信心は、病気平癒を願ったものであっても、後には功徳の内容も大いにふくらみ、多くの人へ利益が回向される結果をもたらします。
盂蘭盆に亡き父母の成仏を願い、先祖精霊のことを想いつつ、営んだ塔婆供養の利益もまた同様で、単に先祖への追善のみならず、そこから発展して計り知れない功徳の広がりが期待されます。
ただし世間の人の如く信心とは、単に功徳や願い事を叶えてくれる為の手段だと考えることは、仏法を見誤ります。
日蓮大聖人は、
とにかくに死は一定なり。其の時の歎きはたうじのごとし。をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ。つゆを大海にあつらへ、ちりを大地にうづむとをもへ
(平新1428㌻)
と。これは熱原法難に値った人々をかくまった、南条時光に対してのお言葉です。意訳をしますと、「人が何れ死を迎えるのは必定である。仏道を求めない人は臨終の時にどれほど歎かなくてはならないだろう。同じく歎くのであれば、法華経に命を捧げる覚悟をせよ」との仰せです。
続いて「つゆを大海にあつらへ、ちりを大地にうづむとをもへ」とある御文は、我々の露にも等しいちっぽけな命を、法華経の大海に投げ入れる覚悟をしなさい。塵にも等しい我が肉身を、大地に埋める覚悟をしなさいと教えられています。
それはすなわち、煩悩多き我々の小さな存在も、成仏を願い広布を願って行ずる折伏に活かされるならば、大海にも値し、大地にも匹敵する大きな功徳に変わっていくのです。
ここに回向の本義があることを自覚し、一人が一人以上の折伏に、精進していきましょう。
(2019年8月)