住職 榎木境道
我が国の経済状況について、私は素人でしかありませんが、国家としての借財が先進国最大の一千兆円を超えてしまったということです。国民一人ひとりに割り振れば、八百数十万円にもなるというのです。
これを聞いただけで暗い気持ちになるのは、私だけではないでしょう。近いうちにギリシャのような債務国に陥るのではないかとも言われています。政府サイドの説明では、日本の国債は大部分を国民から借りているので、ギリシャとは比較にならないし、だいたい一人ひとりに割り振る考え方そのものが、適当ではないというのです。それはそうかもしれませんが、借財が雪だるま的に増えている日本経済の現状が、決して健全だとは思えませんし、どこまで増えたらとどまる努力をするのか、あるいはそれさえしないで増やし続けるのか……。我々が関与しないところで、新幹線やリニアがどんどん造られていきますが、先ずは借財を減らす努力が大切ではないでしょうか。
経済は目には見えず、バブルに例えられるのは当を得た言い方で、近ごろはビットコインなるものも出現して、我々の脳の中の、混乱する度合いはますます深まります。
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御書の『三世諸仏総勘文抄』の中に、中国の荘周という人が夢の中で蝶になったという、摩訶止観にある譬えを、大聖人は引かれています。
蝶になって百年を過ぎる間に苦しいことは多く、楽なことは少しもなく、冷や汗をかいて気が付いたところが、蝶にもならず、百年も過ぎていなかったというのです。全ては頭の中の妄想だったのです。
夢の中で蝶になったのは、我々衆生に具わる煩悩に覆われた一面、つまり無明(迷い)に譬えています。目覚めて寤に戻ったのは、我々が本来は仏性を宿した十界互具・一念三千という、悟りの当体であることに譬えています。この悟りの一面を法性と言います。そして夢の中の蝶も、寤の荘周も、ともに荘周という人の心を離れて存在するものではなく、どちらも荘周そのもの、荘周の全体です。
我々の一心も同様で、無明・法性両様になる性分を本来は具えているのですが、理屈として二面があることを知っていても、いざこれを現実生活に当てはめれば、多くは荘周の夢のように、蝶になってあてどもなく飛び回ることが多いのです。しかも一夜の夢ならいざ知らず、一生の間自分の命にある法性を知らず、無明という煩悩の為すがままに過ごす人の、何と多いことでしょう。
現在の日本経済にしても、それを運営する政治にしても、「バブル=泡」という言葉が象徴するように、幻影のまっただ中で右往左往しているように見えます。そして今日の経済活動そのものは、人間生活に必要なことは認めますが、仏法の眼から見れば、夢の中で蝶になった荘周のように、無いものをあるかのように見せかけたまま、気が付かない振りをして、架空に近い仕業をし続けているように思えるのです。
借財をするにしても、確実な保証・担保が確認できる間は良かったのですが、全地球的な規模で経済活動が行われている現在、保証や担保をその都度明らかにするのはほとんど不可能です。したがって日本がこれまで借財に継ぐ借財で運営してきたのも、戦後目覚ましい経済発展を遂げた信頼によるものであって、その成長神話が崩れた今後経済の破綻が来ないとは、誰が断言できましょう。
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仏法は世の中の実相をうかがうのに、勝れた教えです。しかし世間を眺めるだけが仏法の本来の役割ではなく、今日のような不確実な世の中を、どのように正しく生きていくべきか、その指針と力を与えるのが仏道修行の功徳です。それには信の一字をもって、御本尊に向かうことです。
『一生成仏抄』に、
一念無明の迷心は磨かない鏡の如くである。これを磨けば必ず法性真如の明鏡と成る。日夜朝暮に怠らず磨くべきで、どのようにして磨くのかと言えば、御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱え奉ることである。
(御書46㌻取意)
と仰せです。私たちの信心をする意義もここに極まります。
(2017年4月)