佐渡御勘気抄

 九月十二日に御勘気を蒙りて、今年十月十日佐渡国へまかり候なり。
 本より学文し候ひし事は、仏教をきはめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思ふ。仏になる道は、必ず身命をすつるほどの事ありてこそ、仏にはなり候らめと、をしはからる。 (佐渡御勘気抄・平新482頁)
 
〔意訳〕文永8年9月12日に幕府に捕らわれ、佐渡国へ配流されることになった。これまで出家をして学んできた目的は、仏教の心髄を知って成仏し、恩を蒙った人々もともに救うためであった。されば成仏への道は、必ず身命を捨てるほどの苦難を乗り越えてこそ達せられるのである。
 
〔解説〕成仏(仏に成る)とは架空めいた話ではなく、現実に信行に徹して叶えられる境地である。日蓮大聖人は竜ノ口の頸の座をはじめ伊豆や佐渡への配流を体験される中で仏の境界を開かれた。本宗で大聖人を末法の御本仏と拝するゆえんである。

(平成28年9月公開)